三貨制度の制定とお代官様の金貨の選定
貨幣が安定して流通を始めたのは江戸時代の事です。徳川幕府は貨幣の発行権の独占と貨幣の様式の統一を図り、金・銀・銭(銅)の3種からなる「三貨制度」を制定。それぞれの貨幣の鋳造は、幕府が定めた金座と銀座、および銭座で行うようになったのです。ちなみに、金座の場所は、現在の日本銀行本店の所在地だそうです。
銀座は全国にいくつか作られましたが、そのうちの一つ、江戸の銀座は現在の京橋のあたりに開かれたのです。現在も都内屈指の繁華街として地名が残っています。
一方の銭座ですが、金や銀以外の金属貨幣の鋳造は地方でも許されていたため、全国の藩が独自に銭座を開き、多くの銭貨を鋳造したと言われています。
ところで、大判や小判と聞いて何を連想するでしょうか。悪代官が「山吹色のお菓子」と称して、風呂敷に包まれた賄賂用の大判や小判をやり取りするのを見たことがないでしょうか。そのせいか、現代の私たちでも大判小判というと悪代官をイメージしてしまいます。
この悪代官が行っている金を噛む動作は、実はれっきとした「鑑定方法」。金はやわらかい金属なので、噛んで揺らすとしなりを感じる事ができるため、悪代官は金を噛んでその真贋を確認していたようです。決してテレビ上の演出ではなく、理にかなった行動でもあるのです。
ちなみに、固いと純度が低く、表面が剥がれるとメッキと言う事になります。
原始的な鑑定方法に見える行動も、金の特性を理解したものだと分かると見方が少し変わってくるような気がしますね。