金の値動きを知るには、ここ35年ほどの動きを見るのがコツ
古代エジプトの人々はもちろん、世界史上、多くの人々が好んできた金。また、プラチナは日本人の肌の色にもっとも似合うと言われており、結婚指輪の素材として人気があります。
そういった金やプラチナの歴史や魅力を知っておくと、投資にもより興味がわいてくるものです。しかし、実際に投資をするとなると、現実的な数字のこと、投資対象である両者の「値動き」についても、きちんと理解することが必要になってきます。
ではまず、ここ35年ほどの金の値動きから見てみましょう。
なぜ35年か・・・
実は政治の動向や経済状態、為替相場などに反応し金価格が変動するようになったのは、ここ35年ほどだからです。1973年のロンドン金価格は1トロイオンスあたりが約97ドルでした。それが2009年には約970ドルまで上昇しています。ということは、その35年間に金価格は10倍になったということです。
ですが、その期間中、金価格がただひたすら一直線に右肩上がりに上昇を続けたということではありません。金は日々起こるさまざまな原因によって、小さな値動きをします。細かな上下を続けながら、全体的には上昇していった形なのです。
そして、いくつかのターニングポイントもありました。
最初のターニングポイントは1973~1975年
1973年には各国通貨が固定相場制から変動相場制に移行するという、たいへん大きな出来事がありました。今ではかえって不自然に感じますが、ずっと以前は「ドルは日本円でこの金額」と、固定されていたのです。それが現在のように、日々刻々と変化することになったのがこの年でした。
通貨の価値が常に変動するようになったので、金価格はドルや円の為替相場の影響を受けるようになります。それに、この年は第一次オイルショックの影響を受けて、原油価格が高騰した年でもありました。物価が上がり、世界的なインフレが起きました。
日本でいえば昭和48年
トイレットペーパーに殺到する主婦の報道写真は、誰でも一度は見たことがあるのではないでしょうか。この頃のパニック状態を象徴するものです。
インフレになって通貨の価値が下がるということは、当然ながら金鉱山の人件費や、輸送費・・・、要するに、金を生産するのに必要な費用も上がるということを意味します。つまり、通貨の価値は下がり、金の価格は上がる、ということで金の価値には変わりありません。
多くの投資家が「この時点で金を買っておこう」と考え、この時期の金価格は上昇したのです。
続いて金が注目されたのは、アメリカとソビエト連邦(現ロシア)の間の東西冷戦です。さいわい、全面的に両者が武力衝突することは実際にはありませんでした。ですが、なにかのきっかけで両者が対決し、第三次世界大戦が起きてしまうのではという不安感が常に漂っていたのが、この時代でした。
1979年から翌年にかけては、イラン革命が起きたり、ソ連がアフガニスタンに侵攻するなど、アメリカとソビエトの代理戦争ともいえる数々の紛争が起こっていたからです。
「有事の金」という言葉が言われるようになったのはこの頃
通貨は国があってこそ価値があります。発行した国に万一のことがあったら、価値がなくなってしまいます。そのため、世界のどこかで紛争やテロ事件が起きると通貨に対する不安感が増し、信用が薄れ、金を買おうとする人が増えます。そのため、金の価格は上昇します。
当時、多くの金を買ったのはサウジアラビアやクウェートといった産油国でした。原油の高騰によって多くの外貨、つまりドルを得ても、もし世界大戦になってアメリカに何かあったら、ドルの価値がなくなってしまうかもしれません。そこで産油国はドルを金と交換したいと考えました。金を買うことは、金をドルに変更することでもあるのです。
産油国は金をたくさん買い、その影響から1980年には金の価格が上昇し、当時の最高価格1トロイオンス850ドルをつけました。この記録は2008年まで破られることはありませんでした。
・オイルショックによるインフレ
・東西冷戦を背景とした紛争の頻発
これらが原因で起こった二度の金価格の暴騰は、しだいに落ち着いていきました。1981年、新しいアメリカ大統領としてロナルド・レーガンが登場します。
レーガン大統領は、かつてラジオアナウンサーや俳優を経験したことがあり「ハリウッド映画の俳優が大統領に選ばれた」というので、当時の日本でもたいへんに話題になりました。レーガン大統領は「強いアメリカ」を目指しました。大幅な減税と、積極的な財政政策を行い、アメリカに好景気をもたらすことに成功しました。
ドルについては「ドル高」を目指して調整を行い、それも成功して1985年、ドル高がピークに達した結果、金は下落を続けました。「ドルの値段が上がった。ドルが強いのだからそちらに投資しよう」と考える人が多くなったわけです。
ところが「ドル高が行き過ぎなので是正しよう」という動きが出てきました。1985年の「プラザ合意」です。この合意によってドルは急落した上、1987年に起きた「ブラックマンデー」では株価が暴落。
ドルと株が暴落し、人々の関心が金に戻ってきてそれにより金価格は再び上昇に転じたのです。