いつから金と人間の関係が始まったの?

遥か5000年以上も前から、金と人間の関係が始まりました。あくまで想像ですが人間が初めて見た金は、おそらく自然金と呼ばれる純度が高い金であったと思われます。たぶんその自然金が地上に露出していたのかもしれません。

また、河川のほとりで金の塊を見つけたのかもしれません。日本の金は砂金の場合が多く非常に小さい砂粒大ですが、オーストラリアなどでは300キロの自然金が見つかったことがあります。金と人間の関係の黎明期にはそのような自然金がごろごろしていたのかもしれません。

人間は当初そのような自然金を軟らかい特性を利用して引き延ばし、板や針にして使用していたと考えられています。金が持つ美しさ、希少さから、宗教上の装身具や権力の象徴として利用されていたのかもしれません。

その後、新しい技術が開発され、生産量も飛躍的に増えていきます。しかし武器のように消耗するものには使われず、不変性という特性から量がどんどん蓄積されていきました。そしてそれが「価値の基準」として認識されていったのではないでしょうか。

さらに進んで通貨としての役割も演じるようになったと考えられます。金は財産の価値保存を通して、富の象徴的な意味合いを持ったと思われます。

証明できる金と人間の関係の具体的な製造物は、古代エジプトの宗教上の財物が挙げられます。古代エジプト人は太陽を神として崇拝し、金をその象徴と捉えていました。この時代は、金を収集するために莫大な時間と労働力を必要としたはずです。

大河からとれる砂金だけでは限界があり、すでに採堀の技術により金が生産されていたことがわかっています。現存する資料から判断すると奴隷が労働力を担っており、着衣もほとんどなく、少量の食べ物だけで過酷な仕事に就いていたようです。まさに奴隷制度は金を集めることが主要な目的だったとも言えるのではないでしょうか。

宗教上の象徴であった金はやがて王族のために奴隷を使って大量に集められ、終いには他国を攻めて略奪する目的になったのです。金を集める労働力を集める為にも侵略は必要だったのでしょう。そして金の集積は財となり、それを基に身分制が固まっていったと考えられます。金が人間の歴史の転換点になったとも言えるのではないでしょうか。

現在のトルコの辺りに建国されたリディア王国では、紀元前600年ごろに世界初となる鋳造貨幣が製造されたようです。いわゆるエレクトロン硬貨と呼ばれるもので、リディア周辺で産出された砂金が使われています。

この世界初の硬貨は金と銀を45:55の割合で配合した合金製であり、重さが4.7グラムあります。表面にはリディア国王の象徴であるライオンが刻印され、また価値を示す印があったことから世界初の硬貨として認定されたようです。

その後紀元前550年ごろになると、同じリディア王国で世界初の金貨と銀貨がクロイソス王の命令で製造されました。これらリディアの硬貨がギリシャまで伝わり、「お金」の概念が広まったのだと考えられます。

紀元前334年になるとマケドニアのアレクサンドロス大王のペルシア遠征により、大量の金が西方へ持ち出され欧州に広く貨幣が伝わったのです。そして時代はローマの繁栄へと続くのです。

ローマ帝国の時代は欧州全土で金の採堀が行われましたが、時代を経て中世の大航海時代になると遠く中南米まで遠征し、金を集めました。

「価値とはその物を造るのに要した労働力の量」とマルクスは規定しましたが、その意味から金を考えると、まさに命を削るような方法で収集された数多くの犠牲の上に造られた物であると言えるでしょう。

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