日本人はプラチナの白い輝きに魅了されました
ヨーロッパで次第に隆盛を極め出したプラチナですが、ではいつ頃、日本に伝わったのでしょうか?それはそう古い時代ではありません。
明治維新後になってようやく日本にも、プラチナをふんだんに使った装飾品が輸入されるようになりました。当時の日本ではゴールドよりもシルバーの人気が高く、シルバー同様、白く美しく輝く貴金属なのに、手入れをしなくても黒ずむことがなく、いつまでもその輝きを失わないプラチナは、すぐに日本人の心を鷲掴みにし、魅了していったのです。
この時代から、日本においての貴金属の精密加工の技術が向上していきました。プラチナに魅了された日本人の心が、それを後押ししたのかもしれません。
こうして日本は世界屈指のプラチナ装飾品の一大消費国となったのでした。
ちなみに明治時代、「ドラ息子、胸にフラチナ時計かけ」という川柳が読まれています。フラチナとは明治初期のプラチナの別名で、またプラチナをたくさん使った時計は富裕層のステータスシンボル化していました。この川柳からは、プラチナが高価な尊い貴金属であるということを庶民が理解していたということがわかります。また、この川柳が新聞に掲載されたのが1879年ですので、どれだけ早くプラチナの価値が日本に広がったのかを示す資料にもなります。