金貨偽造!プラチナに金メッキをコーティング!?
古代エジプト王国やインカ帝国が滅亡した後、他の地域でその価値を認められなかったプラチナは、歴史の表舞台から姿を消し、不遇な時代を過ごします。
プラチナが歴史上の表舞台に再び現れたのはインカ帝国が滅亡してから約200年後、1700年代になってからです。1735年、あるスペイン軍の士官がコロンビアのピント川でプラチナ鉱石を見つけました。この士官は見つけたプラチナを「プラタ・デル・ピント、ピント川の小粒の銀」と呼び、その名称がプラチナの語源になっています。
そのコロンビアではプラチナの表面に金メッキをコーティングし、偽造地金や偽造金貨をせっせと大量に密造しておりました。金に劣らず貴重なものであるプラチナを偽造品にするなんて、現在の我々の感覚からは考えられません。
1700年代は錬金術がヨーロッパで隆盛をきわめていた時代でもあります。この時期に鉛とプラチナを混合すると金のように見えることが発見され、錬金術師たちはこぞってプラチナを研究材料としました。そして、プラチナと鉛の合金で製造された金の偽造品がヨーロッパ中に広まったのです。
この事態に驚愕したスペイン政府はプラチナの採堀や輸入を全面的に禁止にしました。それにも関らず偽造品の原料としてプラチナは密輸され続けたのです。ある意味、まだプラチナの不遇な時代は終わっていなかったといえるでしょう。