価値は銀以下の金属だったプラチナ
エジプトから遠く離れた南米で栄えたインカ帝国でも、実際にプラチナが装飾品の材料として使われていました。紀元前100年ごろがその始まりだと考えられています。
そしてその後、西暦900年代には、なんと純度80%を超えるプラチナ製の装飾具をインカ帝国の人々は作っていたのです。このことからインカ帝国民であるインディオたちはプラチナの精製技術、それもかなり高度な技術を備えていたことがわかります。
しかしインカ帝国は南米大陸に上陸したスペイン人であるフランシスコ・ピサロによって、1532年に滅亡させられてしまいました。
インカ帝国の滅亡時、蓄えられていた莫大なプラチナ製の装飾具は金や銀の装飾具とともに、スペイン人たちによって略奪されたと考えられています。当時のヨーロッパでは銀がたいへん高価だったため、おそらくプラチナが銀と勘違いされて略奪されたのではないでしょうか。
しかしプラチナの融点は1,770度であり、銀の融点とはかなりの差があります。そのため銀専用の加工設備では溶かすことができず、当時のヨーロッパ人からは価値のない金属とのレッテルが貼られ、プラチナは大量に破棄されてしまったのです。現代を生きる我々から考えればもったいない、本当にもったいないの一言ですが・・・。