プラチナは18世紀半ばに入ってようやく名誉挽回の機会が・・・
科学者によってプラチナが銀とは違う元素だと認められたのは、実に1750年ごろの事だったと言われています。そしてその後、ヨーロッパの王族社会を中心に、プラチナは美しく貴重なものであるという認識が広がっていきました。プラチナはようやく、ヨーロッパにおいてその特性を正当に評価されたのでした。
プラチナをアクセサリーに取り入れた人物は1800年代に入ってようやく現れます。その人物の名前は、ルイ・カルティエ、宝石商として有名な「カルティエ」の3代目です。
それ以前までは白く輝く美しい貴金属はシルバーしかなく、選択の幅がありませんでした。しかもシルバーは、硫化しやすい性質をもち、少しでも手入れをしないと黒ずんでしまうという欠点があります。
一方、プラチナは輝きが変化するようなことがありません。製錬も加工も困難を伴うプラチナですが、融点が高いため高温に強く、時間が経過しても変化しないその存在感が、美しさと相まってヨーロッパ人の心を魅了したのです。
ルイ・カルティエは次々とプラチナを使ったアクセサリーを発表し、大成功を収めます。あとルイ・カルティエは実用的な腕時計についても先駆者であり、その腕時計にももちろんプラチナを彼は世界で最初に使用しました。